静岡県で「はんぺん」といえば、多くの県民が思い浮かべるのは白いふわふわの練り物ではなく、灰色でずっしりとした半月形の塊だ。これが「黒はんぺん」である。関東や他の地方から来た人が初めてスーパーの惣菜コーナーでこの灰色の食べ物を目にすると、不思議な気持ちになるかもしれない。しかし一口食べれば、青魚の旨みが凝縮されたその風味に驚かされる。黒はんぺんはなぜ黒いのか、いつから静岡・沼津の食卓に根ざしてきたのか——今回はその歴史と食文化を深掘りしていく。
黒はんぺんとは?——灰色の練り物に宿る静岡の知恵
黒はんぺんは、鰯(イワシ)・鯖(サバ)・鯵(アジ)といった青魚を主原料とした、静岡県特有の茹でかまぼこだ。正式には「魚肉練り製品」の一種であり、形は半円形(D字型)、色は灰白色から灰褐色と、見た目は決して華やかではない。しかしその地味な外観とは裏腹に、味は濃厚。青魚の旨みが骨ごとすり込まれているため、噛むたびにDHAやEPAが豊富な魚の風味が広がる。
名前の「黒」はんぺんという呼称は、白いはんぺん(いわゆる関東風のはんぺん)との区別のためにつけられたものだ。静岡県内では単に「はんぺん」といえば黒はんぺんを指すことが多く、白いほうをわざわざ「白はんぺん」と呼ぶ。静岡に住んでいると当たり前の感覚だが、県外からの観光客にとっては意外な発見だろう。
かまぼこや薩摩揚げに近い引き締まった食感も特徴のひとつだ。白はんぺんのようなふわふわ感はなく、むしろ弾力がある。また、骨を丸ごと練り込んでいるため、舌にわずかに骨粉が当たる独特のざらつきがある。これが黒はんぺんの個性であり、「他の練り物とは違う」と感じさせる要素でもある。カルシウムが豊富で栄養価が高い点も見逃せない。
黒はんぺんの歴史——青魚漁業と300年以上の伝統
黒はんぺんがいつ頃から作られるようになったかについては諸説あるが、少なくとも300年以上前から変わらぬ製法で伝えられてきたとする見方が一般的だ。静岡県「しずおか食の情報センター」の資料によれば、前浜(駿河湾沿岸)で豊富に獲れた青魚を加工し、日持ちを良くするために食べたことが始まりとされている。
駿河湾は日本有数の豊かな漁場だ。サバ・アジ・イワシが大量に水揚げされる一方で、これらの青魚は白身魚と比べて傷みやすく、生のままでは流通させにくい。そこで古くから漁師や水産加工業者たちは、青魚を骨ごとすり身にして茹でるという保存加工の知恵を磨いてきた。これが黒はんぺんの起源と考えられている。
農林水産省「うちの郷土料理」データベースには、黒はんぺんは「サバ、アジ、イワシなどを骨ごとすり身にして茹でた、静岡県特有の練り物」として掲載されている。この加工法は江戸時代から続くものとされており、明治・大正の漁業近代化とともに商業的な製造業者が増え、静岡県全域に広まっていったと考えられている。
「はんぺん」という名の語源については複数の説がある。「半片(はんぺん)」=半月形の片、という説や、「半平(はんぺい)」という人名由来説などがあるが、いずれも決定打には欠ける。ただ、形が半月型であることとは関連性がありそうだ。
なぜ「黒い」のか——製法の違いが生む色と食感の秘密
黒はんぺんが灰色〜灰褐色になる理由は、その製法にある。通常の白はんぺんは、魚の骨・皮・血合いを取り除いた純粋な白身のすり身のみを使用する。一方、黒はんぺんは骨・皮・血合いを含んだまま青魚を丸ごとすり身にして使う。この血合い(ミオグロビンなどの血色素)が加熱によって変色し、特有の灰色を生み出すのだ。
製造工程をもう少し詳しく見てみよう。まず鰯・鯖・鯵などの青魚を丸ごと石臼やミキサーにかけてすり身にする。これに塩・砂糖・澱粉などの副原料を加えてよく練り合わせた後、円形または半月形の器具で一枚ずつ手作業で成形し、熱湯で茹でて仕上げる。白はんぺんのように「水晒し」の工程を行わないのも大きな特徴だ。水晒しとは魚の臭みを抜く工程だが、黒はんぺんにはそれがないため、青魚独特の旨みと香りがそのまま残る。
この製法の違いが、食感の違いにも直結している。白はんぺんは空気を含ませて泡立てることで、食べたときのふわふわ感が生まれる。対して黒はんぺんは空気を含ませず、かまぼこに近い密度で仕上がるため、噛み応えのある弾力が生まれる。骨粉が含まれているため舌に当たる独特の食感も出る。これを初めて食べる人は少し驚くが、慣れると「これがないとはんぺんじゃない」と感じるようになる。カルシウムが豊富に含まれるため、栄養面でも優れた食品として知られている。
沼津と焼津——二大漁港を結ぶ黒はんぺん文化圏
黒はんぺんの生産地として最も広く知られているのは、静岡県焼津市だ。焼津は日本最大級のカツオ・マグロの水揚げ港として有名だが、同時に古くからサバやアジの漁も盛んで、黒はんぺんの一大産地として発展してきた。焼津市内には複数の練り物製造業者が軒を連ね、今も多くのメーカーが黒はんぺんを作り続けている。
一方、沼津も黒はんぺん文化と深い縁を持つ。沼津港は駿河湾に面した漁業と物流の拠点として栄えてきた港であり、周辺ではイワシ・アジが古くから大量に水揚げされてきた。こうした地理的背景から、沼津でも黒はんぺんが日常的に消費され、地元のスーパーや食料品店には今も必ずといっていいほど黒はんぺんが並ぶ。
特筆すべきは、焼津出身の職人が沼津に移り住んで黒はんぺん製造を始めたという歴史的なつながりだ。沼津港近くに店を構える「やいづ屋」は、大正4年(1915年)に焼津出身の創業者が沼津で黒はんぺん・揚げはんぺんの製造を開始した老舗で、現在は4代目が受け継いでいる。「やいづ」という屋号そのものが焼津(やいづ)との縁を物語っており、焼津と沼津が黒はんぺんを通じて人と技術が行き来してきた関係にあることを示している。
現在、黒はんぺんは静岡県内ほぼ全域で販売・消費されているが、特に焼津・清水・沼津などの漁港を持つ地域での消費が濃い。浜名湖周辺の遠州地区では白はんぺんの生産も多く、同じ静岡県内でも地域によって「はんぺん」のイメージが微妙に異なる点は興味深い。
食べ方いろいろ——フライ・おでん・焼きから現代アレンジまで
黒はんぺんの食べ方は実に多彩だ。代表的な食べ方を紹介していこう。
黒はんぺんフライは最も広く親しまれている食べ方で、農林水産省「うちの郷土料理」にも選ばれている。小麦粉・溶き卵・パン粉の順で衣をつけ、油で揚げるだけのシンプルな調理法だが、外はサクサク、中はしっとりとした食感が楽しめる。ソース(ウスターソース系)をかけて食べるのが基本で、学校給食にも登場する。静岡育ちの人にとっては「給食の揚げはんぺん」として思い出に残る味だ。
静岡おでんにも黒はんぺんは欠かせない。静岡おでんは、牛すじ・黒はんぺん・練り物・大根・卵などの具材を全て串に刺し、色の黒いだし汁で煮込んだもの。仕上げに青のりと魚粉(削り節の粉)をかけて食べるのが特徴だ。黒はんぺんはだしをよく吸って、いっそう旨みが増す。沼津港周辺でも静岡おでんを提供する店があり、観光客に人気がある。
焼き黒はんぺんは、フライパンや網の上で軽く焼いて、生姜醤油やわさび醤油でいただく食べ方だ。黒はんぺん本来の青魚の香りが香ばしさと合わさって引き立ち、酒のつまみとしても絶品。
そのほかにも、味噌汁の具に加える、煮物に使う、薄切りにしてサラダのトッピングにするなど、家庭ではさまざまな使い方がされている。近年では、黒はんぺんを使ったバーガーや黒はんぺんチーズ焼きなど、現代的なアレンジメニューも登場している。焼津駅構内では黒はんぺんのハンバーガーが販売されたとして話題になったこともあった。定番の食べ方が愛される一方で、新しい可能性も広がりつつある食材だ。
沼津港で揚げたての黒はんぺんを食べる——やいづ屋直売店
沼津港エリアで黒はんぺんを体験したいなら、ぜひ立ち寄ってほしい店がある。大正4年(1915年)創業の老舗練り物メーカー「やいづ屋」の直売店、港の揚げ はんぺん屋だ。
やいづ屋は機械化を最小限に抑えた手造りにこだわる。揚げはんぺんはすべて手で一枚ずつ成形し、当日の朝に揚げたものを提供するという姿勢を守り続けており、揚げたての黒はんぺんが食べられる貴重な場所だ。鯵と鰯を主原料に骨ごと石臼で練り込む伝統製法を今も守っており、平成16年(2004年)には全国蒲鉾品評会で名古屋市長賞を受賞した実績もある。港を歩きながら、揚げたてのはんぺんをほおばる体験は、沼津旅行の記憶に残る一コマになるはずだ。
黒はんぺんが映す、駿河湾の食の底力
黒はんぺんは、単なるご当地食材ではない。豊かな駿河湾と、そこで生きてきた人々の知恵と歴史が詰まった食品だ。水揚げした青魚を無駄なく活用し、骨ごとすり身にして茹でるという発想は、漁業に生きる人々のたくましさを感じさせる。300年以上変わらぬ製法が今も守られているという事実は、黒はんぺんが単においしいだけでなく、地域のアイデンティティの一部であることを示している。
スーパーで手軽に買える日常食でありながら、静岡・沼津の食文化の深さを体現している黒はんぺん。沼津港を訪れた際には、直売店での揚げたて体験を皮切りに、地元食堂でのおでんや家庭での焼きはんぺんなど、いくつかの形で食べ比べてみてほしい。どこで食べても、駿河湾の青魚の旨みは裏切らない。
【参考・出典】
・黒はんぺん — Wikipedia
・黒はんぺんフライ(静岡県)— 農林水産省「うちの郷土料理」
・黒はんぺん — しずおか食の情報センター(静岡県)
・やいづ屋 公式サイト
・沼津名代 やいづ屋の黒はんぺん — 沼津ブランド
・冒頭画像:Fried Kurohanpen, 撮影:Akahito Yamabe, CC0 1.0, Wikimedia Commons
