年間170万人が訪れる静岡県を代表する観光スポット「沼津港」。海鮮グルメ、深海水族館、展望水門「びゅうお」——今では観光地として当然のように知られているが、ほんの30年前まで沼津港は「魚屋とネコしかいなかった」と地元で語り継がれるほど、観光とは縁遠い純粋な漁業の拠点だった。この港がいつ、どのようにして観光地へと変貌を遂げたのかを、歴史の流れに沿って掘り下げてみる。
日本一深い湾が育んだ「魚の港」の素地
沼津港が豊かな漁業を誇る背景には、地理的な恵みがある。港が面する駿河湾は最大水深約2,500メートルと日本一深い湾として知られ、深海から浅瀬まで多様な海洋環境が連続している。黒潮の恩恵を受けた暖流と深海からの豊富な栄養塩が混ざり合い、多種多様な魚介類が生息する豊かな漁場を形成してきた。
水揚げされる魚種は実に幅広い。アジ、サバ、イワシ、カツオといった一般的な魚種から、駿河湾特産の桜えびや生しらす、さらには深海に棲むメヒカリやタカアシガニ、リュウグウノツカイといった珍魚まで、ここならではの海産物が水揚げされる。漁獲量は静岡県内では2位に位置し、全国でも上位に入る水揚げ量を誇っていた。
なかでも、アジの干物(あじのひらき)の生産量は全国一を誇る。温暖な気候と適度な西風、冬でも穏やかな気温という干物づくりに最適な自然条件が揃っており、沼津港周辺は明治時代から干物の一大産地として知られてきた。「沼津の干物」は単なる保存食を超えた地域のブランドであり、後の観光商品化にとっての重要な資産でもあった。
昭和初期に誕生した現在の港の形、そして静かな戦後時代
沼津港のルーツをたどると、もともとの港の施設は狩野川の右岸(現・永代橋付近)に存在していた。その後、水揚げ量の増加や船舶の大型化に対応するため港の整備が進み、1933年(昭和8年)に現在の場所に内港が完成した。さらに1970年(昭和45年)には外港が整備され、大型船が停泊できる規模へと拡張されている。
かつては沼津駅と港湾地区を結ぶ貨物専用鉄道「蛇松線(じゃまつせん)」が敷設されており、魚介類の輸送に利用されていたが、道路輸送の普及とともに役割を終え、1974年(昭和49年)に廃線となった。この時代の沼津港は、徹頭徹尾「産業の場」であり、港周辺には魚問屋が軒を連ね、飲食店といえば早朝から働く漁師やトラック運転手向けの食堂が中心だった。観光と結びつくイメージは、この時代にはまだどこにもなかった。
沼津市全体に観光客がまったく来ていなかったわけではない。伊豆半島への旅行途中に通過する観光客や、「沼津御用邸記念公園」(皇室の避暑地として明治26年に設けられたもの)を目当てにした来訪者はあった。しかし、港そのものは観光の目的地ではなく、「素通りされる漁港」に過ぎなかった時代が長く続いた。
転機は1991年 ― バブル崩壊後に生まれた最初の土産屋
観光地化への最初の一歩は、バブル経済が崩壊した1991年(平成3年)ごろに訪れた。この時期、沼津港で初めて観光客を意識した土産屋「伊豆海屋」が開業したとされる。漁師の朝食を出す食堂とは異なる、一般の観光客向けのビジネスモデルが港に誕生した瞬間だ。当時の港を知る人たちが「1991年頃は、沼津港には魚屋とネコしかいなかった」と語るほどだったことを思えば、この一軒の開業がいかに先駆的だったかわかる。
バブル崩壊で国内の消費意欲が冷え込むなか、沼津港の水産業者や周辺の商店主たちは生き残りの道を模索し始めた。それまで魚問屋として卸してきた鮮魚を、今度は観光客向けに直接販売・提供することが新たな活路として浮上する。「駿河湾の新鮮な魚介を食べに来る場所」として港を開放し、消費者と漁業者が直接つながるビジネスへの転換だ。
この「観光シフト」は一夜にして起きたわけではなく、1990年代を通じてじわじわと進行した。港への観光客は少しずつ増え始めたものの、この時点ではまだ現在のような賑わいには程遠い。種が蒔かれたばかりの時代だった。
2000年の重要港湾指定が街の景色を一変させた
沼津港の観光地化を大きく後押しした国の施策がある。2000年(平成12年)、沼津港が「特定地域振興重要港湾」に指定されたことだ。これを機に港湾施設の建物や道路の整備が本格的に進み、物流だけでなく商業・観光用途も想定したインフラ整備が一気に動き出した。
指定後の数年間で、港周辺の風景は劇的に変わった。老朽化した倉庫や問屋の建物が改修・建替えされ、飲食店や土産物店として次々と生まれ変わっていく。「沼津みなと旬彩街」をはじめとする商業エリアが形成され、転換された面積は総計約3,000坪にのぼったという。観光地としての体裁が、この時期に一気に整ってきた。
同時期、沼津市観光協会が拠点を港に移し(2001年)、大型観光バス用駐車場のオンライン予約システムも整備された。これにより団体旅行の受け皿ができ、観光バスが沼津港を目的地に選びやすくなる。行政と民間が連携した「港の観光地化」が、具体的な形をもって動き始めた時期だ。
2004年「びゅうお」― 防災施設が観光ランドマークになった
2004年(平成16年)9月26日、沼津港に一つの巨大構造物が完成した。大型展望水門「びゅうお」だ。
「びゅうお」はもともと東海地震に備えた津波対策として設計された防災施設だ。狩野川を逆流しようとする津波を防ぐための水門で、水門扉の重量は470トン、高さは32メートルにおよぶ。防災上の必要性から生まれたインフラだったが、設計の段階から「港を見渡せる展望施設」としての機能も組み込まれており、上部の展望スペースからは沼津港の全景、駿河湾の水平線、晴天時には富士山の雄姿まで一望できる。
入場料は比較的安価な設定で(訪問前に各自で最新料金を確認することを推奨)、家族連れからカップルまで気軽に立ち寄れるスポットとして人気を集めた。「防災の水門が観光名所になる」というユニークな成功例として全国からも注目され、沼津港の認知度を一段と高めた。ただ魚を食べるだけでなく「眺める場所」「体験する場所」としての港のイメージが、この施設によって広く定着していく。
2007〜2011年:施設が連鎖開業し「観光地」が完成した
2007年(平成19年)11月、沼津港は国土交通省中部地方整備局の「みなとオアシス」に登録された。「みなとオアシス」とは、港を活かした地域交流・観光振興の拠点として国が認定する制度で、この登録により沼津港は「国が後押しする観光地」として明確に位置づけられた。
同月には水産複合施設「沼津魚市場INO(イーノ)」がオープンし、鮮魚の直販から加工品まで揃う産直型の施設として人気を博した。続く2009年(平成21年)には商業施設「沼津みなと新鮮館」が開業し、飲食・土産・鮮魚が一か所で楽しめるエリアがさらに広がった。
そして2011年(平成23年)、沼津港の観光に決定的な個性を与える施設が誕生する。「沼津港深海水族館〜シーラカンス・ミュージアム〜」だ。地元の水産会社「佐政水産株式会社」が約6億円を投じて設立した、世界初の深海専門水族館で、「地元の人に愛されてこそ観光地として続いていける」という信念のもとに作られた。100種類以上の深海生物を常時展示し、3億5千万年前から姿を変えていないとされるシーラカンスの冷凍標本・剥製標本を世界最多数展示することで知られる。開館以来、年間約40万人の来場者を集める沼津港の顔的存在となっている。
この水族館は「港八十三番地(みなと83ばんち)」という深海テーマの複合エンターテインメント施設の核として位置づけられ、周囲に飲食店・ショップ・アトラクションが集積する。かつての漁業施設跡地が、まるごと観光エリアへと生まれ変わった象徴的なスポットだ。
アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」が加えた新たな観光の層
2010年代後半に入ると、沼津の観光に新たな潮流が加わった。アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」の舞台として沼津市(特に内浦地区)が選ばれ、全国のアニメファン(「ラブライバー」)が聖地巡礼として沼津を訪れるようになったのだ。
研究によれば、放送前まで沼津市へわざわざ立ち寄る観光客は限られていたが、放送後は若い世代のリピーターが急増した。商店街や港周辺が「聖地」として認知されるにつれ、地元の取り組みとも相まって街全体としての結束も高まったという。影響は移住にまで及び、2019年には37年ぶりに沼津市の転入超過が実現したとも報じられている。
聖地巡礼による観光は、これまでの「海鮮グルメを食べに来る」「水族館を見に来る」とは異なる動機で訪れる層を呼び込んだ。年代・目的・消費パターンが多様化したことで、沼津港の観光基盤はより厚みを増した。
今の沼津港 ― 年間170万人が集う港の現在地
これらの変遷を経て、沼津港は今や年間170万人の観光客を受け入れる静岡県有数の観光地となった。「食べる」「見る」「学ぶ」「買う」が一か所に揃う港として、首都圏からの日帰り旅行、伊豆方面への旅行途中の立ち寄りなど、さまざまな動機で訪れる人々を集めている。
「魚屋とネコしかいなかった」と語られた1991年から、わずか30年余りで起きた変化だ。干物文化という産業資産、駿河湾の深海という地理的な個性、官民連携によるインフラ整備、そして予期せぬアニメ聖地化という幸運まで——複数の要素が重なり合って、今の沼津港は出来上がっている。
沼津港の変遷は「漁港が観光地になりえる」ことを示すと同時に、地域の資源をどう活かすかが観光地の命運を左右するという教訓でもある。どんな港も、使い方次第でここまで変わる——沼津港が証明したその事実は、他の地方港湾にとっても示唆に富んでいる。
(各施設の営業時間・定休日・料金等は変更になる場合があるため、訪問前に最新情報を各施設に確認することを推奨する。)
出典・参考資料
