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沼津港のみなと新鮮館に入ると、どこからともなくツンとした清々しい香りが漂ってくる一角がある。伊豆の山葵専門店「カメヤ食品」の沼津みなと新鮮館店だ。鮮やかな緑色の根わさびが並び、わさび漬けや各種加工品がずらりとケースに収まるその空間は、港の海鮮文化と山の薬味文化が交差する特別な場所でもある。
立ち寄るたびにふと気になるのは、なぜ伊豆半島は、これほどまでにわさびの産地として名を馳せることになったのか、ということだ。答えを探ると、天城山の豊かな湧き水、江戸時代の禁制品というドラマチックな歴史、そして400年以上にわたって受け継がれてきた職人の知恵が見えてくる。
伊豆わさびの歴史──400年以上前にさかのぼる栽培のはじまり
わさびの栽培が伊豆に根付いた経緯には、ひとりの農民の行動力が大きく関わっている。1744年(延享元年)ごろ、上狩野村(現在の伊豆市湯ヶ島)に住む農家の板垣勘四郎が、しいたけ栽培の指導者として静岡の安部郡有東木村を訪れた際にわさびの苗を手に入れ、天城山の岩場(ガラン地)に植えたのが、伊豆での本格的な沢わさび栽培のはじまりとされている。
その後、天城山麓の清冽な湧き水に恵まれた環境で、わさびの栽培は急速に広まっていった。現在、伊豆市のわさびは中伊豆・湯ヶ島地区を中心に約310軒の生産者が75ヘクタールものわさび田を守っている。静岡県全体のわさび栽培面積(約116ヘクタール)の6割以上が伊豆市に集中しており、「わさびと言えば伊豆」という評価は数字の上でもしっかりと裏付けられている。
天城山の恵み──わさびが育つ三つの条件と理想の水環境
カメヤ食品はわさびの栽培において「1に水、2に苗、3に管理」という三原則を掲げている。この言葉は、伊豆わさびの品質を支える環境の本質を端的に表している。
天城山は日本でも有数の多雨地帯だ。山に降り注いだ大量の雨水は、伊豆半島の地質的な特徴である火山性の軽石層(スコリア層)に浸透し、長い時間をかけてゆっくりと濾過されながら地下水として蓄積される。やがて山の斜面の各所から湧き出るその水は、年間を通じて12〜13℃という安定した水温を保つ。これがわさびにとって最も適した水温とされている。水温が高すぎると根腐れが起き、低すぎると成長が止まる。天城の湧き水は、わさびの繊細な要求を一年を通じて満たし続けることができる稀有な存在だ。
さらに、湧き水は火山性の地層を通り抜けることで豊富なミネラルと溶存酸素を含む。農薬も化学肥料も一切使わずに栽培できるのは、水そのものが植物の生育に必要な栄養を運んでくるからだ。わさびの強い辛みと爽やかな香りは、こうした恵まれた水環境の中でゆっくりと時間をかけることで、少しずつ磨き上げられていく。
徳川家康も愛した幻の食材──江戸時代の禁制と全国への広まり
伊豆での本格栽培がはじまる少し前、静岡のわさびをめぐって歴史的なエピソードがある。1607年(慶長12年)、駿府城で晩年を過ごしていた徳川家康に、安部郡有東木村産のわさびが献上された。家康はその風味をいたく気に入り、このわさびを「門外不出の御法度品」として外部への持ち出しを禁じるよう命じたという。
禁制品であったにもかかわらず、板垣勘四郎が有東木を訪れた際に苗を手に入れて伊豆に持ち帰ったのが、伊豆わさびの始まりとされる。その経緯には不明な点も多いが、結果として伊豆の清冽な水と組み合わさることで、「日本を代表するわさびの産地」が誕生することになった。
江戸時代中期以降、わさびは江戸の食文化に深く入り込んでいく。1804年(文化元年)以降、江戸では握り鮨にわさびを使うことが広まり、庶民の人気食材として定着した。また、わさびを酒粕に漬け込んだ「わさび漬け」は宝歴年間(1751〜1763年)に誕生し、明治時代には全国に広まって、現在まで続く静岡の名物として定着している。
畳石方式という職人技──伊豆独自のわさび田づくり
伊豆のわさび田を一度でも見たことがある人なら、その独特の美しさに目を奪われた経験があるはずだ。山あいの沢沿いに整然と並ぶ石積みのわさび田は、まるで山間の棚田のような景観を形成している。これは「畳石方式(たたみいし方式)」と呼ばれる、伊豆独自の伝統的な農法によるものだ。
畳石方式では、まず地盤を深く掘り下げ、大きな石から小さな石へと順番に層状に敷き詰めていく。その上に15センチほどの砂を敷き、そこにわさびを植え付ける。この構造により、清流の水がわさびの根もとに均一に流れ込み、根が呼吸しやすい状態を保てる。大雨が降っても田が崩れにくく、農薬なしで病害虫を抑えやすい利点もある。
一枚のわさび田を整備するだけでも、石の選別から積み上げまで、熟練した職人の手と多大な時間が必要になる。見た目は単純な石積みに見えるが、水の流れ方・石の大きさのバランス・砂の層の厚みなど、長年の経験から生まれた精巧な知恵が随所に込められている。この手仕事の積み重ねが、代々にわたって伊豆わさびの品質を支えてきた。
世界農業遺産に認定された「静岡水わさびの伝統栽培」
2017年、「静岡水わさびの伝統栽培」は日本農業遺産に認定され、翌2018年には国連食糧農業機関(FAO)による世界農業遺産(GIAHS:Globally Important Agricultural Heritage Systems)にも認定された。伊豆を含む静岡県のわさび生産者が積み重ねてきた、400年以上にわたる伝統的な栽培技術と水環境の管理が、世界的に高い評価を受けたのだ。
世界農業遺産の認定は、農業技術だけでなく、その農業と結びついた生態系・景観・文化も含めた「農業システム全体」を対象とする。伊豆の沢わさびの場合、畳石方式のわさび田が形成する棚田状の美しい景観、天城山の清流を守ってきた生産者たちの取り組み、そしてわさびを中心に発展した食文化・観光土産文化のすべてが評価対象となった。
農薬と化学肥料を一切使わない栽培方法は、山の沢の生態系を守ることにも直結している。わさび田の上流・下流には多様な水生生物が今なお生息しており、清い水を維持するための森の保全にも、生産者たちが積極的に関わってきた。わさびを育てることが、天城の自然を守ることと表裏一体だった。その持続可能な農業の在り方そのものが、世界農業遺産という称号の根拠になっている。
カメヤ食品が守り続ける伊豆わさびの味
こうした伊豆わさびの歴史と文化の中に、カメヤ食品という企業の軌跡がある。昭和22年(1947年)、清水町(現在の静岡県駿東郡清水町)で漬物屋として夫婦二人三脚で創業したカメヤ食品は、柿田川の湧水と富士山の伏流水という恵まれた水環境を活かしながら、わさびの加工に取り組んできた。
大きな転機となったのは昭和39年(1964年)、東海道新幹線の開通だ。三島・熱海・沼津といった静岡東部の駅が整備されると、伊豆への観光客が飛躍的に増加した。カメヤのわさび漬けは観光みやげとして爆発的な人気を得て、会社の規模を急成長させた。現在は伊豆市の湯ヶ島・上船原地区に自社のわさび沢を保有し、天城山麓の良質なわさびを自ら栽培・加工するまでに至っている。
製品のラインナップも多岐にわたる。代々受け継がれてきたわさび漬けをはじめ、わさびイタリアンドレッシング、わさびマヨネーズ、わさびふりかけなど、現代の食卓に合わせた新しい製品が次々と生まれている。伊豆わさびの美味しさをもっと多くの人に、もっと多様な形で届けたいという思いが、絶えず新しい食べ方の提案につながっている。
沼津港でカメヤ食品のわさびに出会う
カメヤ食品が沼津港の「沼津みなと新鮮館」に出店しているのは、沼津港という場所が持つ意味とよく合っているからだろう。駿河湾の新鮮な海の幸が集まり、遠方からの観光客も多く訪れる沼津港は、静岡の食文化を体験する入口として機能している。魚に添えてわさびを使うという日本料理の基本を、観光客が自然な形で体感できる場所でもある。
みなと新鮮館のカメヤ店には、伊豆の天城から定期的に届く生の根わさびが並ぶ。その場で購入して沼津港の海鮮料理と合わせて楽しんでも良いし、わさび漬けや各種加工品をみやげとして持ち帰っても良い。また、沼津港周辺で水揚げされるイカやタコを使ったカメヤ自慢の「塩辛」も、沼津みなと新鮮館店ならではの品だ。
沼津港で魚を食べる旅を計画しているなら、食事の前後にカメヤ食品の店に立ち寄ってみてほしい。「1に水、2に苗、3に管理」という三原則のもとで天城山の清流が育てた本物のわさびを、目で見て、香りをかいで、それから味わってみると、伊豆と沼津が共有する豊かな食の文化が、少しだけ見えてくる気がする。
出典・参考情報
