「からすみ」という名前を耳にしたことはあるだろうか。ウニ・このわたとともに日本三大珍味に数えられる高級食品で、その濃密なうまみと独特の食感は、食の愛好家を長く魅了し続けてきた。実は沼津港にも、そのからすみを明治の時代から作り続けてきた老舗がある。明治44年(1911年)創業、四代目が伝統の技術を守る「株式会社川善」だ。本記事では、そもそもからすみとは何かという基礎から、日本への伝来の歴史、沼津港でからすみが作られてきた背景、そして川善が代々受け継いできた製法の全工程と世界的な評価まで、沼津港のからすみを多角的に掘り下げていく。
からすみとは──日本三大珍味の一角を担う高級食品
からすみとは、ボラ(鯔)のメスの卵巣を塩漬けにし、天日で干して乾燥・熟成させた加工食品だ。完成品の表面は淡い琥珀色からべっこう色で、薄くスライスして食べると、しっとりとした食感とともに塩気・うまみ・ほのかな甘みが複雑に重なって広がる。そのうまみの深さは、塩漬けと乾燥によってアミノ酸が高度に凝縮されるためだ。
日本三大珍味とは、越前のウニ(福井県産)、三河のこのわた(愛知県産の海参の腸)、そして肥前のからすみ(長崎県産)を指す、江戸時代からの呼び方に由来する。これらはいずれも幕府への献上品として珍重され、一般庶民にはなかなか手が届かない贅沢品の代名詞だった。現代においても本からすみは高価格帯に位置し、お歳暮・ギフト・特別な席の酒の肴として重宝されている。
なお、からすみは日本独自の食文化ではない。台湾では「烏魚子(ウーユーツー)」と呼ばれ正月料理の定番食材として親しまれ、地中海沿岸でもボラやマグロの卵巣を使った「ボッタルガ(bottarga)」が広く知られている。塩漬けと乾燥によってうまみを凝縮するという手法は、世界各地の沿岸文化が独立して発達させてきた人類共通の知恵と言えるかもしれない。
「唐墨」という名前の由来──書道の墨に似た形から
「からすみ」という名前を聞いて、なぜ食べ物にそんな名前が付くのかと不思議に思う人も多い。その答えは見た目にある。でき上がったからすみは長方形で扁平な形をしており、これが中国から伝来した書道用の固形墨(唐墨・からすみ)にそっくりだということから名付けられた。漢字では「唐墨」と表記する。
実際に手に取ると、確かに固形墨のような形で、表面の光沢や深みのある色合いも似ている。食べ物と書道道具がこうした形で結びつくのは珍しく、からすみという名前の背景に「目で見て名付ける」という日本的な感性が宿っているのが面白い。台湾での表記「烏魚子」は「ボラの卵子」そのままを意味し、日本の「唐墨」が見た目由来であるのとは対照的だ。
日本への伝来──安土桃山時代と長崎・野母崎の歴史
からすみが日本に伝わったのは安土桃山時代のことだとされる。南蛮貿易が盛んだったこの時代に中国から長崎へ伝来したとされており、当初はサワラの卵で作られていた記録も残っている。
やがて長崎半島の先端・野母崎(のもざき)周辺の海域でボラが豊富に漁獲されるようになり、ボラの卵巣を使ったからすみが長崎の特産品として全国に名を馳せた。延宝3年(1675年)に高野勇助が野母崎付近でのボラを用いたからすみ製造を確立したと伝わり、以来この地のからすみは「肥前のからすみ」として三大珍味の一角を占めてきた。
製法はやがて各地に広まり、沼津港のようにボラの漁獲が安定して見込める港町でも生産が行われるようになった。沼津港のある駿河湾はボラをはじめとした多くの魚が集まる豊かな漁場であり、それが川善の創業と長年にわたる営業を支えてきた土台の一つだ。
なぜ沼津港でからすみが作られるのか──駿河湾の恵みとボラの旬
沼津港が面する駿河湾は、最深部が2,500メートルを超える日本でも有数の深い湾だ。豊かな湧水と多彩なプランクトンが育む沿岸環境は多くの魚が集まる豊かな漁場であり、ボラの生息にも適した条件が整っている。
ボラが抱卵するのは秋から冬にかけて(おおむね10月〜12月ごろ)。この時期に漁獲されるメスのボラの卵巣は丸々と肥大しており、良質なからすみの原料として最適だ。川善が毎シーズン処理するボラの量は4〜5トン(2,000〜3,000匹相当)に上るとされており(川善公式プレスリリースより)、この数字からも沼津港が「からすみの生産地」として機能してきた実態がうかがえる。
さらに、沼津港周辺は秋から冬にかけて乾いた潮風が吹き込み、日照時間も比較的確保できる気候だ。からすみの天日干しには「清潔な潮風と十分な日光」が欠かせないため、こうした沼津の気候条件が品質の底上げに寄与している。川善の職人が長年磨いてきたのは製法の技術だけでなく、「沼津の自然環境を最大限に活かす経験値」でもある。
川善の歩み──明治44年創業、四代目が守り続ける技
株式会社川善が創業したのは明治44年(1911年)のことだ。当初は沼津港を拠点にした鮮魚の仲卸業が主な事業で、港に上がるボラを使ったからすみ作りはそこから始まったとされる。時代が移り変わる中でからすみが川善の看板商品へと成長し、現在は四代目が伝統の製法を受け継ぎながら品質向上への取り組みも続けている。
NHK・テレビ朝日などの複数のメディアに取り上げられてきた川善。2025年には沼津港の直売スペース(住所:沼津市千本港町91)に通年オープンの直売カウンターを新設し、港を訪れた観光客が直接購入できる環境が整った。百貨店や全国的なふるさと納税プラットフォームでも扱われており、「沼津港のからすみ」ブランドの知名度は年々高まっている。
川善の製法を徹底解説──血抜きから天日干しまで5工程
川善のからすみは完全手作業で製造される。ひとつひとつ職人が丁寧に仕込み、でき上がるまでには約1ヶ月の時間がかかる(川善公式情報・プレスリリースより)。
① 血抜き
ボラのメスから取り出した卵巣の血管に、細い針を約1センチ間隔で刺して血液を丁寧に抜く。血が残ると臭みや色ムラの原因になるため、この工程が最終的な品質を根本から左右する。川善は長年にわたってこの血抜き技術の向上にこだわってきたといい、「臭みが少なくクリーンなうまみ」を実現する下地になっている。
② 塩漬け
血抜きを終えた卵巣に塩をまぶし、数日間かけてじっくりと塩漬けにする。塩の浸透によって余分な水分が外に引き出され、保存性と風味の骨格が形成される。この期間、表面の水分を吸ったペーパーを適宜交換しながら、均一に塩が行き渡るよう細かく管理する。
③ 塩抜き
塩漬けが完了したら、塩水で丁寧に洗って塩分を適切な水準に調整する「塩抜き」を行う。塩辛すぎると食べにくくなり、抜きすぎると風味が損なわれるため、職人の経験と感覚が問われる工程だ。急激に脱塩すると表面が崩れやすくなるため、時間をかけてゆっくり行う。
④ 圧搾・整形
塩抜き後、卵巣を和紙で包んで整形し、圧力をかけて形を固める「圧搾」を行う。これによって卵膜が弾けにくくなり、均一で見栄えの良い形に仕上がる。川善が独自に改良したとされる技術の一つであり、仕上がりの品質に直結している。
⑤ 天日干し
最後の工程が天日干しだ。秋の潮風が吹き込む沼津港の軒先で、木の板の上に並べたからすみを毎日表と裏を返しながら約2週間かけてゆっくりと乾燥させる。干し始めてしばらく経つと、淡い色だった卵巣がじわじわと深みのあるべっこう色へと変化していく。この色の変化を毎日見極めながら、職人が最適なタイミングで仕上げを判断する。港の空気と日差しが、機械には出せない風味と色合いをからすみに与えていく。
沼津産からすみの品質を見分けるポイント
市場には国産のからすみと外国産(主に台湾・モロッコ・地中海産)のものが混在している。「本からすみ」と呼ばれるものの中にも品質には差があり、選ぶ際のポイントを知っておくと役立つ。見た目では、均一なべっこう色で表面に光沢があり、形が整っているものが品質の高さを示しているとされる。逆に、色ムラが多かったり表面にひびや亀裂が目立つものは、乾燥の過程で問題があった可能性がある。
川善の本からすみは沼津港に揚がったボラを使い、添加物を極力使わない無添加の手作業製法を守っている。前述のモンドセレクション最高金賞2年連続は、素材選定と工程管理の高さを客観的に示す指標の一つだ。「国産・沼津産・無添加・天日干し」という条件が揃ったからすみは流通量が限られており、川善の直売所か公式通販で入手するのが確実と言える。
世界が認めた沼津のからすみ──モンドセレクション最高金賞2年連続
川善の「本からすみ」は、ベルギーに本部を置く国際食品品評会モンドセレクションに申請し、2023年・2024年と最高金賞(グランド・ゴールデン・クオリティ・アワード)を2年連続で受賞した(川善プレスリリース・PR Timesより)。世界各国の食品・飲料が出品されるこの舞台で最高位の賞を老舗の職人製品が2年連続で獲得したことは、川善の品質管理と伝統製法が国際的な評価基準においても通用することを裏付けている。
また、川善のからすみは静岡県沼津市のふるさと納税返礼品としても採用されており(三越伊勢丹ふるさと納税ほか)、240g・300gといった各サイズが全国の利用者に届けられている。沼津の地名を冠した「本物のからすみ」として、港を訪れる観光客だけでなく全国の食通のもとへと届き始めている。
沼津港でからすみを買う・味わうには
川善のからすみは、静岡県沼津市千本港町91の直売スペースで購入できる。2025年から通年オープンとなった直売カウンターでは、通常サイズに加えて200g・400gの特大・超特大サイズも取り扱っており(販売状況は時期による)、港を訪れるついでに立ち寄れる手軽さが魅力だ。
営業時間は9:00〜17:00。定休日は4月〜9月が火・木曜日、10月〜3月は不定休とのこと。訪問前には公式サイト(kawazen.jp)等で最新の営業情報を確認しておくと安心だ。
通販は公式サイト(kawazen.jp)でも対応しており、本からすみ(180g前後・12,000円 税込・送料込)、駿河酒粕仕立て高級本からすみ(5,000円 税込・送料込)などのラインナップが確認されている(価格・内容は変更になる場合があるため、最新情報は公式サイトで要確認)。
食べ方としては、薄くスライスして大根との組み合わせが定番中の定番だ。大根の水分とさっぱりした辛みが、からすみの濃いうまみと絶妙にバランスを取る。そのまま日本酒の肴にするのも王道で、飲み進めるほどに余韻が深まる。アレンジとして人気なのがからすみパスタで、バターとオリーブオイルで和えるだけで一気にごちそう感が出る。日本酒はもちろん、辛口の白ワインやスパークリングとも相性が良く、和食・洋食を問わず食卓に彩りを与えてくれる食材だ。
参考:株式会社川善 公式サイト / 川善プレスリリース(atpress) / モンドセレクション受賞プレスリリース(PR Times) / カラスミ – Wikipedia
